宝塚古墳を整備した公園です。松阪市は種別を「特殊公園」としていて、広さは38,000平方メートル。古墳を見ながら芝生広場でひと休みできる、松阪ならではの場所です。

古墳そのものが公園になっているため、遊具中心の公園とは過ごし方が違います。歩いて地形を感じるのに向いています。

古墳時代の松阪と宝塚古墳

松阪の北部では、4世紀後半の向山古墳をはじめ、前方後円墳がいくつも築かれました。ヤマト政権の力が及ぶ前から、このあたりに大きな勢力があったと考えられています。

5世紀初頭の宝塚1号墳では、伊勢平野で初めて、埴輪を用いたヤマト政権のまつりの手法が伝わったことがうかがえます。松阪の地域がヤマト政権の影響下に入った時期を示すものと見られています。この勢力は宝塚2号墳へ受け継がれますが、そのあとは、後継者と呼べるような大型の古墳が松阪では見られなくなります。理由は分かっていません。

造り出しと、全国で最初に見つかった土橋

宝塚1号墳の墳丘の北側、前方部のくびれの近くに「造り出し」と呼ばれる張り出しがあります。裾のところで東西18メートル、南北16メートル、高さは約2メートル。墳丘に接する側を除いた東・西・北の三方に2段の葺石が積まれ、その間に埴輪が列をなして並びます。

発掘調査では、造り出しの周りから140点を超える埴輪類が、当時置かれたままの状態で見つかりました。ここが「まつりの場」だったことを示す資料です。2000年(平成12年)1月には、造り出しと墳丘をつなぐ長さ約5メートル、幅約2メートルの土橋も見つかっています。現地の案内板では、古墳の土橋が確認されたのは全国で初めてと紹介されています。

船の上にさまざまな立ち飾りが付く船形埴輪は、この土橋の西側から出土したものです。実物は松阪市文化財センター「はにわ館」で展示されています。

古代・中世の松阪のなかで

松阪には、大和や北伊勢から伊勢神宮へ向かう道が古くから通っていました。とくに伊勢平野を南北に縦断する参宮古道の沿道に記録が多く、海に近い東黒部には万葉集にちなむ門方(かどかた)の伝承地が、同じ街道沿いの市場庄や、伊賀から大和へ抜ける道沿いの嬉野宮古には、斎王の群行にまつわる「忘れ井」の伝承が残ります。

記録そのものは多くありませんが、古代には豪族の飯高君(いいたかのきみ)・一志君(いちしのきみ)の影響が、中世の前期には神三郡と呼ばれた度会・飯野・多気郡を中心に伊勢神宮の影響が、後期には北畠氏の影響があったことが知られています。同じ時代の遺跡には、阿坂城跡、神山一乗寺、柚原中世墓、天華寺廃寺があります。

写真

写真提供: あきまかろん様

園内にあるもの

芝生広場、トイレ、駐車場。

史跡としての公園です

古墳の保存に関わる場所です。掲示されている案内に従ってご利用ください。

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